八洲学園大学 開学日記

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2004年に開学した「八洲学園大学」の開学までの軌跡です。

平成11年9月 保護者との出会いから始まった

そこは教室といってもかなり細長い感じのするビルの一室。前にホワイトボード、部屋の中央にはいくつかの学校用の机といすが輪になって並べられている。
しばらく待っていると、司会が「本日は多数お集まりいただきまして、ありがとうございます」とありきたりの挨拶を告げ、保護者懇談会が始まった。保護者懇談会といっても公式の行事ではなく、一人の教員が自主的に始めた保護者のための勉強会のような催しである。

話を進める前に、ここがどこかを説明しておく必要があるだろう。ここは通信制高校の教室。通信制高校といってもご存じない方にはイメージが湧かないかもしれない。高校を中退したり、不登校などで学校に通えない人が勉強している高校で、日ごろは自宅で学習し、週に1度か2度学校に通う。これをスクーリングと言っている。つまり、そのスクーリングを受けるのがこの教室なのである。高校を中退したり、不登校だったりするから、保護者の悩みはもちろん大きい。それだけにこの保護者懇談会に臨む保護者のまなざしも真剣そのものだ。

平日の昼間にもかかわらず結構な人数が集まった。15名ほどはいるだろうか。結構な人数といっても、この教員が担当している生徒が200名以上いることを考えれば、1割も来ていないことになる。これを多いと見るか、少ないと見るかは意見の分かれるところだが、ここに集まった親が熱心であることに違いはない。先生に会うからと特に着飾っているわけでも、地味なスーツを着ているわけでもなく、ごく普通の服装が目立つ。

保護者懇談会の目的はいくつかある。学校から保護者へ生徒の様子を伝える、学校の方針を伝える、逆に保護者から学校への質問を受け付ける、など。一口に言うと、学校と保護者のコミュニケーションを図ろうというのが目的である。その話題の中心はもちろん生徒である。しかも、自分の子どものことだけである。他人の子どもに興味があるわけはない。

しかし、今回は目的が違っている。保護者懇談会というのは集めるための口実で、目的は保護者同士の情報交換の場を提供することである。不登校や中退といった問題を抱えている親は、その悩みを聞いてくれる相手を探している場合が多い。
そのことは、日ごろから個別に保護者から様々な相談を受けている中で気づいていた。保護者からの相談の電話はとにかく長電話になることが多い。しかもほとんどの場合、一方的に話をする。こちらはひたすら聞き役に徹する。
それでも電話を切るときには、なぜか問題が解決したかのように明るい口調になっていることが多い。多くの保護者、特に母親はかなりのストレスを抱え込んでいるのだろう。しかし、そのことを話す相手がいないため、教員に話をしたがる。本来であれば父親が相談相手であるべきなのだろうが、父親も仕事が忙しいことを理由に、子どもの問題に正面から向き合っていないと感じられる。

中退者のための高校の教員をしているとはいっても、自分が不登校だったり、いじめられた経験をしている教員は少数派に過ぎない。実体験を伴わない共感では、いくら話し相手としても十分であるとはいえない。本当はちゃんと相談相手になりたいと感じているが、何もアドバイスができないことにふがいなさを感じ出してきていた。
そこで、とりあえず同じ悩みを持った保護者同士がお互いの状況を報告し、話ができる場を提供することにした。それが今回の懇談会である。

保護者の方も主旨を理解したのか、懇談会が始まると誰からともなく、自分の子どもの状況、それにどう対処しているかなどを話し出した。かなり家庭の内情に踏み込んだ話であるが、お互い様なのか、そんな体裁にこだわるよりとにかく話を聞いて欲しいからなのか、みんな躊躇することなく話している。

その間、教員はひたすら聞き役である。本当は何かアドバイスをしたかったのであろう。しかし、事前に私から「聞き役に徹して、何もアドバイスをしないように」と伝えていたので、特にアドバイスらしい発言はなかった。
あとから聞いたところ、アドバイスをしたくても「話の内容が重たすぎて、何の経験もなく、頭でしか理解していない自分がアドバイスできるような雰囲気ではなかった」と語っていた。そうなるであろうとある程度予想していたから、聞き役に徹するように指示をしていたのである。もちろん、教員もかなり勉強はしている。現場で多くの生徒さんと接したり、様々な相談を受ける中で相当の経験も積んでいる。しかし、あくまで実体験ではない。

一方、保護者の方は日々24時間365日の問題である。しかも、場合によっては生死に関わる問題である。今回の懇談会に参加されるような保護者の方は、すでにかなりの情報を集め、勉強されているはずである。そういう方に、一教員が出来ることは話を聞くことだけである。それが限界であり、保護者の方にとっても最善の方法である。
しかし、それで保護者の方の問題が解決するわけではないことも分かっている。話をしたこと、同じような悩みを持っている人が他にもいることを知ったことで、とりあえずのストレスは解消されたかも知れない。けれども、それは保護者の方のストレスが一時的に軽くなっただけで、生徒さん本人の問題はなんら解決していない。

解決していないとはいえ、保護者の方のあせりがなくなるだけでも生徒さん本人にとってはかなり精神的に軽くなる。不登校や中退が異常なことではなく、ごく普通のことであると保護者の方が認識するだけでも、本人はぐっと楽になるはずである。それだけでも通信制高校に入学した意味がある。通信制高校に入学して不登校が治るケースは多いが、それは学校の指導の結果というよりは、同じような人が他にも多くいることを知って精神的に楽になり、解決に向かうという側面が強い。保護者も同じである。不登校になることで自分の子どもが病気になったかのように心配し、そのことが子どもにも余計プレッシャーとなる。しかし、決して自分の子どもが異常でも病気でもないと分かると安心できるのである。

だが、対症療法しかできない状況で満足しているわけにはいかない。保護者が安心できたからと言って、それで終わりではない。
よりよい状態にするために、親が家庭で何をすべきか、親と子どもがどういう関係になるべきか、周囲の大人はどう接すべきかなど、高校として何ができるかを検討することを迫られることになった。

平成12年3月 教育改革国民会議

平成12年3月。教育改革国民会議という内閣総理大臣の私的諮問会議がスタートした。「21世紀の日本を担う創造性の高い人材の育成を目指し、教育の基本に遡って幅広く今後の教育のあり方について検討するため」に内閣総理大臣が主催する会議である。この会議の期間中に亡くなった小渕総理が設置し、森総理に引き継がれた。

私はたまたまこの会議の委員の一人の出身団体で教育担当の副委員長をしていたことから、ほぼ毎回会議に同行し、関心を持って会議の行方を見守ってきた。少年が引き起こす事件が急増していたこともあり、議題も子どもに対する教育のあり方が中心となり、委員の間でも家庭の重要性への認識が高まっていった。
そして、最終答申に「教育の原点は家庭であることを自覚する」ことが大きくうたわれることになった。

しかし、この会議で行われた議論を見ていると、教育問題は誰もが実体験を元に持論を展開できること、たとえば野球ファンの誰しもが野球評論家のごとく議論ができるように、教育問題になると国民全員が評論家になれてしまうことが分かってきた。議論の内容をよく聞いていくと、主張の根拠は自らの体験であったり、周囲の人からの見聞であったり、自分で見た経験ばかりなのである。大学教授も何名か委員として参加していたが、それぞれの専門は教育行政だったり、宗教学だったりで、誰一人家庭教育について専門に研究している委員はいなかった。それぞれ違った立場から持論を述べるからなかなか議論がかみ合わない。

答申の期日が迫ってくることもあり、十分な議論が尽くされたかは疑問が残る会議であった。
教育改革国民会議と私の関係は、委員を輩出している団体の意見を集約して委員を通じて会議に発信することである。経済団体であるから経済的な側面からの意見も重要だが、団体の会員の多くが子どもを持つ親であることため、親の立場の意見も集約することになる。6万名あまりの会員全員の意見を集約している時間はない。なにしろ会議はほぼ2週間に1度のペースで行われる。

そこで電子メールを使える会員だけを対象にメールでアンケートを実施した。そのデータを背景に会議で発言するわけである。委員が個人的な経験だけで発言するのではなく、なるべくデータに裏づけされた意見を発言できるようにしたわけである。
しかし、このアンケートの集計が大変だった。択一式の設問にしたとしても、自由記述欄も必要である。その自由記述欄には本当にさまざまな意見が熱っぽく書かれているのである。教育問題は多くの会員が身近な問題として意識していることを意味しているのだが、その意見を集約するというのは事実上不可能だった。全国組織の団体であるので会員も全国に散らばっている。その地方ごとに教育事情も異なっている。加えて、家庭ごとの事情がある。学校が悪い、だから学校制度を変えるべき、という意見があったとしても、その原因を特定するのは不可能だった。

だが、何か変えなければいけない、ということは間違いない。今のままの学校では良くないということも言えそうだった。
学校を変えるためにもっと積極的に学校に関わらなければいけないが、学校に頼りすぎるのも止めなければいけない、ということが徐々に見えてきた。学校に積極的に関われるよう、親が仕事を休まずに授業参観ができるように、教育の日を制定して学校以外は休みにしてはどうか、という提案を考えた。しかし、経済団体としては、これ以上休日を増やすことは避けたいところである。

では逆に、子どもに職場体験をしてもらうというのはどうだろうか。さっそくメールでアンケートを実施。約半数は受け入れ可能との結果だった。これをもとに会議で、子どもに職場体験などの実体験の機会を増やせないかと提案をしてみたりした。これが最終答申で「奉仕活動を全員が行うようにする」という表現になった。一時、マスコミなどで「ボランティアを強制するのはおかしい」という反発が出たが、ボランティアと奉仕活動の違いを誤解したのが原因である。
学校経営にマネジメントの発想を取り入れるようにとか、誰でもが学校を設立できる制度であるパブリックスクールの導入なども主張した。答申に反映された意見もあり、反映されなかった意見もあったが、日本の教育にとって一定の成果をもたらした会議ではあったのではないだろうか。

答申を出した後、それを具体的な政策に落とし込むのは官僚の仕事であるが、せっかく関わった教育改革国民会議である。会としても継続的に何かのアクションを起こしたかった。そこでメンバーが各地で地域の先生として活躍できるように、マニュアルを作成し配布したり、PTAに地域(Community)を加えたPTCA運動などを提唱した。

これらの運動は今も継続されている。会としての運動に加えて、教育関係に身をおく私個人として、この教育改革国民会議の答申を実現するのに何ができるのかを考えさせられることになった。

平成13年9月 子供の受験

私事になるが、長女がちょうど小学校入学の時期に小学校事情を調べてみた。
私学を経営していながら、持論は小学校までは公立派である。なぜ公立派かを簡単に説明すると、子どもにはできるだけいろいろな体験をさせたいからである。私立は良く似た環境で育った子どもだけが集まる。それだけ世の中にはいろいろな人がいるということを体験するチャンスが減ってしまう、という自分の経験に端を発した考えだ。

公立は必ず入れてくれるのであるから、まず私学も調べてみようと思った。
もっともこの段階では、少子化の現代では私立の小学校もほんの一部の有名校を除いては、どこも希望すれば入学できると思っていた。少なくとも、大阪ではそうだと信じていた。実際、関東を除けばどこも私立小学校は定員を埋めるのがやっと、という状況である。

そこで、まず東京都や神奈川県の小学校をホームページで調べて、興味を引いたいくつかの小学校の説明会に出かけることにした。
事前にインターネットの掲示板などで多少の予備知識は得ていたが、いざ会場に到着してびっくりである。いや、最寄り駅に着いたころから雰囲気が違うことに薄々気付かされていた。地味なスーツを着たお母さんの集団が小学校の方へどんどん歩いていくのである。たまたま仕事のついでに参加したからスーツを着ていて良かったものの、普段着で参加していたら一人浮いていたのは間違いない。

しかも、その人数が半端ではない。定員が120名程度のはずなのに、どう数えても500組以上の保護者が来ている。いったい入学倍率はどれくらいになるのだろう?と他人事のように心配になった。小学校も手馴れたもので、これだけ多くの人が詰め掛けても大丈夫なように、並ばせ方から資料の配布方法まで準備万全である。参加者の方も、事前に練習をしたかのように、誰も何の疑問も持たずに整然と並び、決して分かりやすい案内でないにも関わらず、指示通りに資料を受け取り、持参したスリッパに履き替えて整然と席に着いている。

しかし、本当に驚いたのは説明が始まってからである。高校までの一貫教育を自慢するのはまだ良かったが、有名高校への進学や大学の進学実績を数字で自慢し始めたのである。それを、必死に聞いている周囲の保護者の姿にも驚かされる。
小学校から受験勉強をしたからといって、子どもに何のプラスになるのだろうか。進学校に入学させることで親の義務が果たせるとでも思っているのだろうか。そんな疑問がふと頭をよぎった。

会場の雰囲気に圧倒されてボーとしながら帰り道をついたときに、ふとすべての疑問を解消させる答えが見つかった。家庭で親が子どもに対して何をすれば良いか、どう教育すれば良いかは誰も分かっていないのではないか、と思ったのである。
保護者懇談会に来られた方、教育改革国民会議の委員、小学校の入学説明会に集まった親、誰を見てその背後に確固たる自信が見えてこない。

人は子どもができれば、誰もが自動的に親になれるわけではないだ。子どもを大きくするだけが親の役割ではなく、子どもを教育するのも親の役目で、子どもを教育することができるようには誰もがなれるわけではない。
そう言えば、学校の先生になるには大学で専門的に勉強し、教員免許という資格を取る必要がある。なのに、家庭内で自分の子どもに教育するのに、何の資格もなくてもよいのだろうかという疑問が出てくる。人の子どもを教育するのに資格が必要なら、もっと大事な自分の子どもを教育するには、それなりの勉強をするのは当然ではないだろうか。

では、何をどこで勉強すれば良いのだろうか。さっそく調べてみた。調べてびっくりである。家庭教育の専門家が日本には一人もいないのである。試しにYAHOOで「家庭教育」というキーワードで検索してみると、ほとんどが家庭教師に関する情報か、よくて幼児教育関係である。
そんな中で「スコーレ家庭教育振興協会」という団体を見つけた。町田に本部があるというので、すぐに話を聞きに行った。しっかり家庭教育に取り組んでいる団体ではある。しかし、専門家の集団というわけではなく、相互に勉強することが主な活動のようだ。

この時点では八洲学園大学が開学し、その講師にこの協会の会長が就任するなど夢にも思ってもみなかったが、数少ない情報源だと感じていた。

次に、苦労して探し当てたのが日本家庭教育学会という唯一の学会だ。日本学術会議にも登録されているので、ちゃんとした学会のようである。
さっそく、コンタクトのとれた副会長の方に会うために神戸学院大学に出かけた。教授と聞いていたので、高齢の方を想像していたら、意外に若い先生だった。やさしい語り口で、大学の先生に会うというので重くなっていた気持ちも随分軽くなった。

そこで、話を聞いて納得ができた。この学会の会員ですら、家庭教育を専門にしている人は誰もいない。その証拠に、副会長も「人文科学」や「人間形成」「人間科学」といった科目を担当されている。つまり、全員がほかに専門分野を持っており、家庭や子どもに関連した研究はしていても、家庭教育学という学問分野があるわけではないのだ。ならば、家庭教育の専門家を養成しない限り、親の悩みはいつまでも解消されないことになる。

そこで、すぐに文部科学省へ出かけた。以前から知っている生涯学習審議官の方に意見を聞くためだ。私は官僚組織に興味がないので、審議官という肩書きがどれくらいかまったく知らなかったが、秘書がいて大きな部屋に通されたので、その時はじめてその人が「えらい人」なのだと気がついた。陳情に行くわけではなく、意見を聞くだけである。相手の肩書きは関係ないのだが、文部科学省の古い建物はどうも気持ちを萎縮させる。その建物もまもなく建て替えということで寂しい気もするが。

部屋に通されてさっそく本論に入った。教育大学が今後縮小されていくのなら、それを家庭教育の学部に転換してはどうか、という提案をした。
そこですぐさま返ってきた返事は、「国が家庭の問題に関わるのは、日本人の感情としては許されないでしょう。国が家庭に立ち入るのはタブーなのです」というものであった。

あらかじめ相談の内容を告げていたわけでもないのに、簡単な説明でこちらの意図を理解し、質問に対して即座に明快に答えが返ってくるのはさすがである。
と、感心しつつ話をさらに聞くと、「ぜひ必要な大学と思います。民間でやってもらえませんか。八洲さんどうですか?」というのである。

平成14年1月 学長

「八洲さんどうですか?」と言われて帰ってきたが、さてどうしたものか。
周囲のさまざまな人に「家庭教育の大学をどう思うか」と尋ねまわった。
「家庭教育って何をするの?」がほとんどの人の反応である。子どもに対して家庭で何をすべきか、という問題意識を持っていない限り、「家庭教育」の具体的なイメージが湧かないようである。勉強は学校でするもの、家ではしつけくらいという意識なのだろう。それが普通なのかもしれない。

しかも、家庭教育学があるわけでもなく、そんな学部を持っている大学も存在しない。そんな状態で「家庭教育の大学」と言われて、すぐに意見を言える人が少ないのも仕方ない。
詳しく内容を説明すると、ほとんどの人が「おもしろい」「いいですね」「必要ですね」といった感想に変わる。

ということは、家庭教育の大学を作るということは、「家庭教育」とは何か、その必要性・重要性の啓蒙から始めなければならないということになる。とてつもない大変な仕事である。しかも、「家庭教育学」というものを確立しないかぎり大学とはなりえない。

ここは、まず家庭教育学会を頼るしかない。そこで、会長を訪ねることにした。正直、お名前も知らなかった。だが、お会いして話をすれば何かヒントが得られるかも知れない。先日お会いした副会長の方を通じてアポイントをお願いした。
その結果、千葉の自宅へおうかがいすることになった。これまでもそうだが、私は誰かに会ったり、どこかへ出かけたりする場合は常に一人である。今回も、一人で地図を頼りに会長宅を尋ねた。いかにも学者の応接間という雰囲気の、本がいっぱいある部屋に通された。筑波大学の副学長をされていたというから、いかにも学者風の方と勝手に先入観を持っていたが、お会いしたらまさしくそんな風貌である。家庭教育学会の活動状況が聞けたり、この分野に詳しい人を紹介してもらえたりすれば十分だろう程度に思っていた。

しかし、話を聞いている間に印象がまるで違ってきた。
「学生」のことを「お客さん」と呼んだり、勝手に休講する教員のことをけしからんと言ったり、世間からすれば普通かも知れないが、大学関係者から見れば革新的なセンスである。学者としてだけでなく、経営者としても立派な方である。
この人が学長であれば、家庭教育の大学が作れるかも知れない。そう思った瞬間に、「学長を受けてもらえませんか」と言っていた。さすがに即答は得られなかったが、「検討してお返事します」と期待の持てる言葉をいただけた。

それから数日して、副会長を通じて「副会長が全面的に協力するという前提で学長を受ける」という返事をもらった。
トップ人事がうまくいけば、あとは何とかなるというのが私のこれまでの経験である。今回もまさしく、その通りである。この学長、予想以上に適任者である。いや、日本中探してもこれ以上、今回の大学に相応しい学長はいないのではないだろうか。もちろん、学者として業績も大したものだが、一人で膨大なカリキュラム体系を構築し、大学設置申請の書類も一人でどんどん書き上げる。しかも経済界との人脈もあり、優秀な教授を学界、経済界からどんどん連れてきてしまう。

最初は私の方でほとんどの仕事をして、学長からはアドバイスだけもらえればと思っていたのとは大違いである。おかげで、私の仕事がどんどん少なくなって、大学新設という大事業にも関わらず、それなりに休みも取れたほどである。

ところで、家庭教育の大学となれば対象は主婦や社会人の方になる。毎日大学に通えるはずがない。それより、家庭の教育力をなんとかしたいというのが大学開設の動機である。定員100名や200名の大学を作っても何の解決にもならない。

となれば、選択肢は一つしかない。通信教育である。主婦の方が対象となれば授業料は極力抑えなければならない。
となるとITを活用し、通信教育の事務経費をできるだけ抑えるしかない。もともとITは私の専門分野である。なので、ITを活用した教育方法は私が、教育内容は学長が担当するという分担で準備を進めることになった。

平成14年8月 官と壁とキャンパス探し

私はこれまで高校や専門学校の開設の経験はあったが、大学は初めてなので申請書類の作成にコンサルタントの指導をお願いしようと契約した。だが、学長はそんなアドバイスは必要ないとばかり、一人でどんどん準備を進めた。
実際、今回は大学設置基準が大きく変わる節目であり、過去の経験からアドバイスするコンサルタントの意見より、直接文部科学省の担当者に質問した方が情報も早く、また正確であった。

また、私のこれまでの手法であれば、国会議員や官僚ルートで様々な情報を得るのだが、これもほとんど必要なかった。学長は国立大の出身なので当然かも知れないが、文部科学省からも様々なルートで情報を仕入れていた。
私もいろいろなルートから多少の情報を得ていたので、学長の情報とあわせると、文部科学省内の対応状況や大学設置の審議会内での審議の状況などがほぼ正確にわかった。

申請書類の作成は学長に任せて、私は、校舎探しとITシステムの構築に専念することにした。

まず、校舎である。大学設置基準によると通信教育課程では、校地については何の規定もない。規定がないということは必要ないということか。通信教育課程だけの大学としては2000年に開学した人間総合科学大学だけが唯一の例である。しかし、この大学は埼玉の郊外に位置し、広くはないが校地を有している。規定がないから必要ないとならないのが官庁である。
ここは文部科学省へ行って確かめるしかない。確かめるといっても簡単ではない。まず電話で予約し、指定された日時に行くのである。そして、もらえた答えが「それをもって不認可とはならないと思います」である。決して「大丈夫」とは言ってくれない。仕方がない。いかにも官僚の答弁的だが、大丈夫と信じて準備するしかない。

仮に、通学制と同じような校地を要求されたら都心に立地することは不可能である。しかし、郊外では主婦や社会人の方には来てもらえない。だが、一抹の不安もあったので、ある程度の校地の購入も考えて郊外の土地も候補にした。
南大沢、幕張、お台場あたりの土地が候補に挙がった。南大沢は東京都の払い下げ用地で、担当者の方も熱心によくやってくださった。しかし、八王子市の条例で大学の建築ができないということで断念。幕張は千葉県の土地だったが、ここも大学より商業施設を誘致したいということであきらめざるを得なかった。お台場は、造成が間に合わないということで候補から外れた。

民間の土地もいくつも見て歩いたが、どうもイメージにあう土地がない。イメージとは、主婦が買い物帰りに気軽に立ち寄れる場所である。そもそも買い物帰りに立ち寄れるということは、近隣に商業施設があるということなので、当然地価は高い。一方で予算は限られている。

そこで土地の購入ではなく、既存ビルの購入に方向転換した。
校舎は大学設置基準で、最低でも4000平米は必要である。ITを使って自宅からでも授業が受けられる仕組みを考えていたので、こんなに広い校舎が必要なはずはない。
だが、設置基準ではそうなっている。これも念のため文部科学省に聞いてみた。
「学生は大学に通わなくてもいいのだから、こんなに広い校舎は必要ないのでは?」
「校舎とは何をする場所なのですか?」。
答えは「教授の勤務する場所です」
「教授会はするんでしょ」である。
では、「教授会もインターネットを使って自宅から参加するのなら必要ないですか?」と聞くと「まだ、そこまでは柔らかくなっていませんので」と恐縮そうに答えた。
思わず、納得してしまった。まぁ、担当者自身が改正の必要を感じているのであれば、これ以上ここで議論をする必要はない。とにかく基準に合わせて大学を作る方が、日本の教育改革の近道である。

4000平米以上のビルといってもそう簡単に売っているわけではない。
条件は東京23区内か横浜で駅から近いことである。なぜ横浜かは、小学校の入試事情を調べた経験からである。私立の小学校が多い分、首都圏の家庭や地域の教育力は低下していると感じていた。首都圏であればどこでも良かったわけだが、商業施設の集積度が高く、かつ近くに多くの人が住んでいる、また地価を考えると横浜は最適だった。
横浜に限定して探していたわけではないが、たまたま横浜で現在校舎となっている建物がちょうど売りに出されていた。駅からも近く、大きさも手ごろである。さっそく手続きに入り、無事購入することができた。

平成14年8月 世界初のeラーニングを目指して

次に、ITシステムである。いくらくらいかければ、どれくらいのシステムが作れるのかは分かっている。最先端の技術を使ってシステムを作ればいくらかかるかも分かっている。

どうせ作るなら最新にしたい。
だが、最新のシステムを作ってもすぐに陳腐化するのがITである。ユーザの要望に際限はない。常に新しい機能の追加を求められるのも分かっている。しかも、社会人の方の要望に応えられるだけのシステムを維持しなければならない。

それが一大学で可能だろうか。仮に独自に開発したとしても、使いやすいものになるだろうか。ITは道具である。道具を一から手作りする必要はあるのだろうか。
情報系の大学ならいざ知らず、教育系の小さな大学が独自のシステムを作る意味はあるのだろうか。そう考えると、既存のシステムを購入するのが賢い選択であることに気づくのに時間はかからなかった。

そこで、日米の主なシステムはほとんど調べてみた。
しかし、大学の通信教育をすべてカバーするシステムはない。授業配信、教材管理、教務管理、コミュニケーション系、事務系などがばらばらである。これらをまとめて1つのシステムとして構築するには、1から作る以上に大変な作業となる。
かといって独自に作ったとしても、常に最新の状態に維持するのはさらに大変なことになる。

そこで、作ったシステムを他の大学と共同利用する仕組みが作れないかと考えた。
しかし、大学連合では利害が対立して話が進みにくくなるのは明白である。誰かに調整役をしてもらわなければいけない。そこで、数社の経営コンサルティング会社に声をかけた。条件は共同で大学の機能全般を請け負うアウトソーシング会社を設立することである。大学、特に通信制の大学に必要な機能を抽出し、それを請け負うためのITシステムを構築するのである。
1社がかなり乗り気になったが、最終的にリスクの大きさにしり込みしてしまった。次にパソコンメーカー系、電話会社系などに声をかけた。
しかし、打ち合わせのために来校してもらい、名刺交換をした段階で無理だと分かった。こちらは私一人に対して、10名近くも来たのである。多くの人が動けばコストもかかる。それ以上に意思決定に時間がかかる。やはり大企業とはそういうものなのかとがっかりした。

次に、インターネット系の企業にターゲットを変えた。Yahoo、MSNなどは自ら開発はやらない。しかも、こちらもすでに大企業である。
スピード感が一致するとなるとベンチャー系しかない。しかし、今回は大学の基幹システムである。信頼性も必要である。もちろん、技術力も重要となる。
何社リストアップしただろうか。一時はITベンチャーの買収も視野に入れて、M&Aの会社にも声をかけた。うまく共同でアウトソーシング会社を作れなかった場合は独自に開発すれば、とりあえずは開学に支障はない。その判断のタイムリミットまでは探し続けるしかない。

そのタイムリミットが近づいて来た頃、ようやくベストパートナーにめぐり合えた。
eラーニング専業のベンチャーである。ベンチャーと言っても7年の業歴がある。eラーニング業界では老舗の部類である。それだけに実績もある。独自技術は楽天などでも採用されているユニークなものを持っている。
なにより、社長の理念がはっきりしていて本学の方向性とも一致する。すぐに話はまとまった。話の進行が早いのはIT系ベンチャーの特徴だろう。気の短い私とは相性はぴったりである。

さっそく、共同出資で大学・専門学校がネット上で開学できるシステム提供会社を作ることになった。つまり、この会社と契約すれば、だれでもすぐにネット上に学校が作れるのである。
当然、八洲学園が第1号の契約となるが、他の学校にもどんどん使ってもらう。そのことで常に最新のシステムに維持することができるようになる。かつ、学生はこのシステムを使っている学校間であれば、同じ操作方法で勉強ができる。講師も複数の学校を掛け持ちしたとしても、1つの操作方法を覚えれば済む。

つまり、eラーニングの標準OS(基本ソフト)を目指すのである。eラーニングシステムは道具なのだから、何か1つあれば十分である。
重要なのはコンテンツ、つまりそのシステムで作る教材や実施する教育である。システムは黒板やチョークのようなものである。規格は1つでいい。その規格化された黒板とチョークを提供する会社を目指すのである。

そして、この会社のキラーアプリケーション、つまり売りの技術は授業のライブ配信ということになった。
通信教育をインターネットで行うことはすでに珍しいことではない。しかし、多くは事前に作った教材をオンデマンドで利用する。つまり、ユーザが好きな時間に自学自習する形式である。忙しい社会人にはこの方が便利ではある。

だが、一人で学習していて楽しい教材を作ることは可能だろうか。かつてCAIというのがはやったことがあった。コンピュータによる学習システムで、コンピュータから出題される問題を解きながら学習するわけである。私も、CAI用にいくつかの教材を作ったことがある。
とはいえ、飽きのこない教材を作るのは膨大な時間と費用がかかる。実際、アメリカに調査に行った際に、ニューヨーク大学の担当者が教えてくれた。「1つの科目の教材開発に2000万円かけるようになってからeラーニングのクラスの人気が出てきた」と。1科目に2000万円もかけたのでは、主婦の方に気軽に入学してもらえる学費にはならない。

コンピュータを相手に勉強するのではなく、あくまで生きた人間の授業を受ける方がおもしろいはずである。プロ野球が録画で見るより生中継の方がおもしろのは、そのためだ。録画で面白くするには、ドラマのような作りこみが必要となる。しかし、生中継ならそんな必要はない。

また、通信教育で一番問題となるのは孤立感である。各自が自由な時間に勉強するのでは、孤立感はぬぐえない。
しかし、生中継であれば少なくも時間は共有できる。時間を共有することで、学生間のコミュニケーションを図ることもできるはずである。生中継にこだわると、時間の制約から社会人の方にとっては受講しにくくなるが、少なくとも大学へ通う往復の時間は節約できる。いつでも受講できるというより、ある程度時間を決めた方が計画的に学習できるメリットもある。

ここは、やはり授業の生中継という仕組みにこだわるべきではないだろうか。
ところが、このインターネット中継というのが案外難しい技術である。コンサートや国会の審議も生中継されている時代だから、生中継は安定した技術と思っていた。しかし、実はこれらの中継は30秒から1分程度遅れて配信されているのだ。同時性を確保するために、即時性を犠牲にしている。コンサートや国会中継ではこれでも何の問題ない。

だが、授業の生中継ではそうはいかない。
先生が「何か質問はないですか?」と言ったあと、30秒してから「は~い」と言っていたのでは間が悪すぎである。この時差を5秒以下にすることがとりあえずの技術的な目標となった。サーバの調整で10秒までは簡単に縮まったが、それからなかなか進まない。サーバの種類を変えたり、海外の技術や他社が開発中の技術など、使えそうなものは何でも試した。しかし、なかなか5秒に近づかない。しかも画質はともかく、音質は絶対に落とせない。
こんな制約の中、技術陣は苦労の末、なんとか目標の5秒を達成した。これで、ようやく自宅にいながら教室の授業を生中継で見ながら参加できるという画期的なシステムに目処がついた。

平成14年8月 認可までの遠い道のり

その頃、学長は全体的な構想をまとめていた。
家庭教育の大学というコンセプトから構想が広がり、生涯学習の大学になっていた。

生涯学習とは家庭教育、学校教育、社会教育からなり、生まれてから死ぬまでの間に必要に応じて行うものである。このうち、学校教育以外の家庭教育と社会教育を担当する学部として生涯学習学部を設置する。
社会教育は企業内で活躍できる人材開発教育と地域の教育を担当する社会教育に分かれることから、人間開発教育という新たなことばを定義した。

そして家庭教育課程と人間開発教育課程という2つの課程からなら生涯学習学部という構想になった。課程は学科に相当するもので、学科はお互いに独立しているが、課程は重なる部分がある。家庭教育と人間開発教育は非常に近い領域であるため、学科とせずに課程とした。
これまた文部科学省に確認したところ、はっきりOKという返事がもらえなかった。実は、大学設置基準上はこの「課程」というのが明確に定義されているにも関わらず、実際に課程を設けている大学は教職課程以外にはなかったのである。

前例のないことを官僚に認めさせることは大変である。それが1つ2つではなく、本学が行おうとしていることは何もかもが初めてという状態である。
実際、認可は無理では、と思っていた関係者もいたようである。私も筋の通らないことで自説を曲げるのは好きではないが、学長は私の何倍も頑固である。
いったん、この構想で行くと言った以上、このまま通すしかない。「課程」で認可が出なかったという前例もないのだから、何とかなるだろう程度に考えていた。

いざとなれば、「課程」を「学科」に変えれば済むと考えていたのも事実である。しかし、「学科」にすると、校舎面積も教員数も増やさなければならない。校舎はすでに購入していたので、いまさら校舎面積を増やすことはできないわけだから、この楽観的な考え方は今から考えると冷や汗ものかも知れない。

構想も決まり、教員も順次決まっていった。申請書類の作成は相変わらず忙しそうだ。正式書類には含まれない説明用の書類を次から次に要求される。
審査する方も慎重になっているのだろう。何から何まで例外ずくめの大学への設置認可だから、慎重になって当然である。

書類審査に並行してヒアリングというのが行われる。審議委員の先生から直接質問を受ける機会である。校地を持たないこと、ITを使って自宅にいながら授業に参加できるシステムを全面的に採用することなどに質問が集中するかと思って準備していたら、質問は意外にも別の方向だった。

生涯学習や家庭教育が学問になじむか、大学に相応しい内容か、というのである。
学部というのは、コース、学科を経て学部に昇格するという発想のようである。家庭教育というのはこれまでどこにもなかったわけであるから、まずどこかの学科内にコースとして設置し、それから学科なり課程にしないと学問としての内容に耐えられないというのである。
生涯学習学はすでに一部の大学や大学院に設けられているが、審議委員の先生はその専門家でないので知らなくても仕方ない。生涯学習や家庭教育に対するに世間の認識がその程度であることは、すでに覚悟していたはずであるが、大学の先生ということで勝手に甘い期待をしていたようである。大学の先生と言っても自分の専門外のことは世間と同じ程度の認識しかなくて当然であった。

生涯学習や家庭教育を否定されたわけではなく、これらが大学教育に耐えるだけの学問的な内容を持っているかを誰でもが分かるような形で説明しろということである。科目名を学生に分かりやすいようにと、長いひらがなにしたのも良くなかった。大学の科目名らしくないと思われたようだ。大学の科目名は漢字で○○ 論や○○学といった名前がそれっぽく見えるということのようである。これらは、宿題ということで、後日文書で回答することになった。

後から聞いた話であるが、審議委員の中には「何かこの大学は大学として違和感を感じる」という感想を漏らした人がいたそうである。
確かに「生涯学習」と言えば、何でも入る。俗に言う習い事やカルチャーセンター的な内容も生涯学習である。それを大学の学部で教えると考えると違和感を感じるのも無理はない。

もっとも、じっくり科目を眺めれば、決してそんな内容でないことは分かってもらえるはずだが、いったん認可されると、その後に科目の変更は大学の自治に名の下に基本的に自由になる。そうなった段階で、当初の危惧が現実のものとなるのではと考えたのだろう。
書類の審査が中心で、そんな心配を始めると何も信用できなくなると思うが、その心配を少しでも和らげるような書類を作って提出するしかない。
将来の大学院設置の構想も含めて、生涯学習、家庭教育の学問的担保となるものを用意することになった。

またまた徹夜の作業のようだ。何か言われるたびに深夜の作業となり、膨大な紙が無駄になる。
仕事が遅くまでかかるのは仕方ないとしても、膨大な紙が消費されるのは環境保護の観点からもなんとかして欲しい。近い将来電子提出となるだろうが、一度しか見ない書類のために、100ページを超える書類を35部もコピーするのはどうかと思う。

平成15年9月 そして、認可

審査の最後に実地検査というのがある。校舎の準備状況などを現地で確認するのである。現地の確認は一目見れば分かる。わざわざ現地に行かなくても担当者が写真でも取れば済む話である。とはいえ、一度は自分の目で確かめたいというのも心情であるから、この実地調査はなくならないだろう。
郊外に広大なキャンパスを構える大学ではないので、実地調査と言ってもすぐに終わる。

せっかく来たからというわけではないのだろうが、現地のチェックよりその後のヒアリングの方に時間を要した。前回のヒアリングの続きというか、その後の対応状況についての聴取である。今回はこちらの説明でご理解いただいたようである。

これで、あとは結果を待つばかりと思ったら、そうは行かなかった。最後の審査会に向けて、またまたいろいろな資料を用意せよとの電話である。
審査するのは審議委員の先生で、文部科学省の担当者はいかにしてスムーズに審査が進むかを考える。この段階まで来ると、担当者は無事審査に通るようにするためにいろいろ書類を要求している。つまり、本学がスムーズに認可されるようにと協力してくれているのである。そのことが伝わってくるので、こちらもどれだけハードな要望でも嫌な気持ちにはならない。

こちらの担当者と文部科学省の担当者の間にも変な連帯感が生まれているようである。通常、この段階で認可にならないということはない。不認可という記録を残したくないのか、自主的に申請を取り下げるように指導するのが通例である。今のところ、そのような要請はないので、このまま認可されるのだろうと思っていた。
しかし、その後、法科大学院の認可にあたって、不認可という決定を受けた大学が史上初めて出た。不認可という決定があり得ると知らなかったのは幸運だった。知っていたら、最後の1ヶ月は胃の痛い思いをしたことだろう。
11月20日文部科学省の担当者から、明日の審議会で認可の答申が出る予定ですと、電話があった。その直後に新聞記者からの取材もあった。
「明日認可の答申が出る予定らしいので、今回の大学の内容を聞かせて欲しい」というものだった。もう、認可になるのは間違いない。

そして、予定通り21日に大学設置審議会から認可の答申が出され、27日に正式に文部科学大臣から認可を得た。

後戻りのできない第一歩
認可をもらうまでが大変なのは覚悟していたが、それから後の方がもっと大変なようだ。もちろん、大学を運営するのが大変なのは分かるが、そういう問題ではない。「生涯学習」「家庭教育」「人間開発教育」というこれまでにない学部、課程の内容を世間に理解してもらう大変さである。構想を練って、申請書を作っていく段階でスタッフの理解は十分になった。しかし、設置審議会の委員が何度も説明を求めてきたくらいだから、世間の人がそう簡単に理解できないのも無理はない。日本初ということは、世間から注目されるメリットもあるが、一から説明していかなければならない苦労がある。大学は一度開学すれば永遠に続くものである。これから地道にそして、直接世間に「生涯学習」について話をしていかなければならない。とにかく、後戻りのできない、第1歩を踏み出したということである。